20代を駆け抜けて、そして誰もいなくなった
私の20代もそろそろ終わり。10代の時とは全然違う迷いや喜びがあるのかと思えば、あの頃からちっとも変わってはいない。
この先何があるのかはわからないが、とりあえず20代を駆け抜けていった感は、今思えば少しはある。
転職は2回した。
一つは自分から進んでして、地元から東京に行った。2度目はその際使っていた転職サイトからちょっとしたご案内みたいな感じがらの転職だった。
自分としてはいいと思ったし、今でもそう思ってる。だけど、結局そこで働く仲間や先輩とは離れることになった。そうやって離れ離れの日々、この東京で一人、私は暮らしている。
夢を追いかけることとは誰かが去っていくことなのか
私はまだ2時間くらいで地元に帰れるけれど、もっと遠くから夢を追いかけて東京に来ている人がいる。東京はそういう街だろう。東京で皆が皆夢を追いかけているんだろうか、それとも単に地元より東京の方がいいという理由からなのだろうか。多分、答えは「両方正しい」。
地元ですたすた生きるよりも東京でばたばたやってたほうが多分楽しい。地元にはないものがある、ここ東京には。
東京に近すぎて、東京に奪われていって
私は地元が流山だから、とにかく東京には近かった。すぐ会えるくらいの感じだった。友人もみんな東京へ就職に行った。だから自分だけが地元に取り残されたという絶望感があった。地元にいた頃はそれはそれで楽しかったけれど、やはり毎週末東京に転職しよう、引っ越そうと思い生きてきた。私の人生とはそういう儚いものだった。
東京に来た時、古いいろいろなものは置いてきたつもりだった。この先にはもう何もないと。もう何も望まないと。
もう一度の転職
東京は本当にキラキラした街だなあという感じがした。友達が言った。「楽しいのは最初だけ」暗い言葉だと思った。
友達の言葉は当たっていた。特に東京に来たといって何か変わることはなかった。地元にいた頃と変わらない毎日、変わることない自分。そして老いて行く我が身。無くなっていった情熱。残ったものは「ただ東京にいる」という現住所だけだった。
面接の誘いのメールが来たのは東京に来てから1年半くらいのことだった。
今度は青山のデザイン事務所で働くことになった。
仕事は前より忙しかったし、楽しさを感じている。10年くらい前、私が万年筆を買いに表参道駅を降りて、青山へ行って。いつかこの辺りで働けたらいいなと思っていた、この場所で。
表参道駅を降りるたび、正しかったのか?と自問することがある。今は失われた10年だ。何もしなくても、どう頑張っても歳月は過ぎてゆく。私は夢のために頑張ったのか、たまたま運が良かっただけなんでしょうと心に穴が空いている。その空をうめるためにeuropaを作ったのかもしれないし、こうしてdaichiimazeki.comをやっていたり、エウロピを描いていたりするのかもしれない。でもエウロピだったら地元だって全然描けていたはずだ、こんなちいさな部屋で大きな絵なんて描けない。そしてふらふらしているうちに20代は過ぎてゆく。
振り返れば、誰もいなくなった。
そしてようやく駆けつけた。間に合った、青山へ。