ヨコハマトリエンナーレ2017 島と星座とガラパゴスのナイトクルーズに行ってきた
ちょうど横浜美術館のウェブサイトを見ていた時に、今トリエンナーレのナイトクルーズをするというので行ってみることにした。
ヨコハマトリエンナーレ2017 島と星座とガラパゴス
このトリエンナーレの意義というのが「接続と孤独」だという。ちょうどSNSなどによってコミュニケーションを気軽にアクセスできる反面、一人一人は孤独になってしまった都いうような解釈でよろしいのか、少なくても私にはそういう風に映った。そしてそれが様々な今起きている問題に繋げがっているというらしい。今回のナイトクルーズは最初にディレクターの解説で始まり、そのあとは夜の美術館で作品を楽しみという流れだったので、若干イメージと違うという感じもあった。どちらかというと難解な現代アートをひとつひとつ解説してもらえるのかなと期待したが、作品数も膨大であるということもあり、主に作者の紹介といった感じだった。会場も横浜美術館だけじゃなく、赤レンガなども使っているらしく、「横浜」らしくダイナミックな芸術祭になっている。
孤立ということ
最近では孤独死する老人が多いらしいが、孤立というのは色々と問題を起こしそうだ。国際問題でも北朝鮮は孤立していて、今にも暴れだしそうなくらい、なにか危険な感じを見せる。一度孤立してしまうと、仲良くするにはちょっと大変ということだろうか。私の好きな「Mr. ミスター」さんの作品があったので、多く写真に収めておいた。ちなみにミスターさんはキューパ(キューバではない)出身だとのこと。
My Apologies ごめんなさい
たしかに「ごめんなさい」というのは接続と孤立の境界のような気がする。
芸術のために立ち上がらなければ
パオラ・ピヴィさんのくまさんは可愛らしいが、タイトルとしては「芸術のために立ち上がらなければ」とある。アラスカのくまに注目して製作されたとのこと。今現在の深刻な環境汚染が自然を壊し、それが結果的に人間の文化である「芸術」にまで破綻を起こすということだろうか。「立ち上がる」というのは孤立を乗り越えて世界と接続する。
現代アートは難しいが、好きだ
今回は現代アートをディレクターやキュレーターと呼ばれている人がどう「言語化」するのかという好奇心で参加したものがあったが、作品についての言語化というのはわずかな作品にとどまるものであり、ほとんどは見る人の目に委ねられた。また作者を理解することがその作品を理解することになるのであれば、ますます現代アートというのは難解であり、それこそ「孤立」するだろうと思っている。私はそれでも現代アートが好きだから足繁く美術館に立ち寄ってしまうのだけれど。