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【連載 europaからの手紙10】 少しづつ絵を描いています

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私は派遣の仕事をしているから、あんまり仕事仲間という意識がなかったりする。朝も挨拶はしないし、夜もお先に失礼しますとか言わない。ただもし職場の人が私の名前を検索して、このサイトにたどり着いたら、daichi imazekiというサイト名だと、さすがに自意識過剰すぎるなと思ったり、若い頃じゃないんだから、もうそういうのは止そうと思い、「今関ギャラリー」という名前にした。

早速今関ギャラリーで検索すると、検索トップ。当たり前だけど、daichi imazekiだと人名でもあるので、意外と検索トップに立たない。daichi imazekiだとfacebookとかが一番になってしまったり、先日個展をやらせていただいたトバリエギャラリーさんのアーティストページが一番になってしまう。そういう意味でも人名ではない今関ギャラリーというのは、ウェブサイトの名前としても良かったのかもしれない。

これからも絵のギャラリーサイトとして、いろいろ使い勝手良くしていきたいところだが・・・

今は100号の絵を少しずつ描いている

ウェブサイトの更新はクセになる。そういうことをよくこのサイトでも話していた。アクセスは全然こない。休日の2日をお金を使うことなく時間を使いこなすのには、ウェブサイトの更新が一番いい。スキルアップ(本当に?)にもなるだろうし、作った達成感もある。しかし物質ではなく情報(データ)なので、何かこう空虚の感もある。それに比べると達成感もあるし、物質でもある、そしてお金もかかってしまう絵の制作は、とてつもないハードワークだ。

100号の絵は構図がまとまってきたので、いろいろ絵を塗り始めている。いつもは画溶液を何もつけずに塗る工程があるのだが、今回は時間がないなあと思うので、少し画溶液をつけて塗っている。あとはダイナミックに塗っている。ちょうどその前日に国立西洋美術館で見たルーベンス展に影響を受けたのか、それとも常設展のジャン・デュヴュッフェのタッチにハマったのか。あるいは私は最近厚塗りにはまっているのかは差だがではないが、あまり薄塗りでやっていくことに興味がない。

もっともっと絵の具を使い切るんだ!という思いがあったりする。その消費、消費が絵をよくするんだと、どこか信念みたいなものがあったりする。そのヴォリューム、野生に迫るような私。日々の生活の中で失われた野生を取り戻すかのように、愁いを持つかのように、あるいは野生への憧れだろう。大きなキャンバスに自由に絵を描くという行為は。

野生への憧れとは

例えば私は行ったことがないけれど、サバンナの大地を走るチーターのような、そんな野生の生活は、今の現代人(私も含めて)にはない。つい最近まで野生児のような生活をしていたかのようだが、実態は金がない人間だった。野生で空が天井で、草や動物を食べるような生活はしたことがない。そんな野生への憧れはあるだろうか。

もしあるとしたら、私は大きな岩にでも絵を描いてみたいのだろうか。天然の顔料から油絵の具を作り、どこかの壁にでも絵を描く。そんな野生の仕業を再現できるのは、大きなキャンバスで絵を描くこと、なのかもしれない。

小さなキャンバスだと全身を使わない。大きなキャンバスだと全身で描く。全身で描くから、やがて何かが憑依する。野生の俺だ。野生の俺が描くことを楽しんでいる。そして一人疲れ果て、どこかの定食屋でご飯を食べる。

さっきまで野生を楽しんでいた人間が、急に現代人に戻り定食を食べている。その自分がどこか面白かったりもする。そして腹がいっぱいになったらもう野生には戻れない?いやそんなことはなかった。私はまた100号のキャンバスと対峙する。そして再び絵筆も持って、野生へと帰っていく。キャンバスは野生の自分の鏡なのである。

100号など展覧会で見たらそんなにでかくはない。けれど都内の小さなアパートで描くなら随分厄介だ。しかし絵は面白い。この楽しさは絵を描いて、野生化する自分を手に入れるまではわからない。そう、わからないのだ。

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